ノマドについて世間が誤解している事を解いてみる

ここ2〜3年、フリーランスの人が自宅ではなく、カフェなどで仕事をする「ノマド」という働き方が話題になっています。

世間では、ノマドという働き方に対して、格好良いとか、自由な感じだとか、漠然とながらもプラスのイメージを持つ人が増えているみたいです。一方で、ノマドに対して冷ややかな見方をする人たちも、相当数にのぼります。一部には「ノマド詐欺」なんてものが生まれていることを引き合いに出して「ノマドなんてやるもんじゃない!」と完全否定する人も居ますね。

さて、かくいう私はフリーランスになって、この4月で11年目に突入します。WEB系のフリーランスとしては、相当な古株に属すると思います(年は取りたくないもんですなぁ・・・)。まあ最初の頃は、バイトと掛け持ちしていましたが(^_^;)。

そして、ノマド歴も非常に長いです。ノマドという言葉が流行り出す前から、ノートパソコンを片手にカフェなどに繰り出し、自宅以外で仕事をする事もしばしばありました。というか、バイトと掛け持ちしていた初期の頃も、空き時間にノートパソコンでサイト作りしていた位ですから、ノマド野郎としても10年選手ですわ。

そんな日本最古級?のノマド野郎として、最近のノマド賛否両論に対して、一言いっておきます。どちらの方も、ノマドの本質がわかっていらっしゃらないようで。私がノマドで仕事をする理由はただ一つ、それは


家ではやる気が起きないから


・・・これだけです。

(゚Д゚)<<(はぁ?なに贅沢言うとるねん!)

そんな読者様の非難が聞こえてきそうですが、これは事実なんです。自宅、それも自室を仕事場にすると、公私の区別が付きづらいので、どうしても仕事がはかどりません。ちょっと仕事して「疲れたなぁ」と感じたら、2秒後にはごろ寝の体勢に入れる環境なのです。私のように意志の弱い人間にとっては、魔物と共存しているに等しい状態です(^_^;)。

そんなだらけた精神を断ち切るために、カフェに行って仕事するのです。カフェに行けば、ごろ寝することも出来ませんし、他人の視線がある環境なので、家で居る時の怠けた精神状態にはなりません。常に寝食を行う自宅と、ノマド先のカフェでは、気合いの入り方が違ってくるのです。

これは私だけの話ではないでしょう。作家の人などが、温泉旅館に籠もって執筆活動を行うのも、同じ理由だと思います。太宰治川端康成宮沢賢治など、多くの作家が温泉旅館で名作を書き上げたと言われていますが、彼らは普段と違う環境に身を置くことで、インスピレーションを研ぎ澄ませていったのだと思います。

作家もWEBデザイナー(アドセンサー)も、クリエイティブな仕事です。発想力が命ですから、脳に日常とは異なる刺激があった方が、アイディアが沸きやすいものです。この辺の感覚は、肉体労働やルーティーンワークを行っている人からは、中々理解しづらいことかも知れませんが。

要するに私が言いたいことは、ノマドというのは、オフィスを持つ金が無いから行うものでもなければ、格好付けたいから行うものでもありません。良く言えば頭が働きやすいから、悪く言えば家では仕事が捗らないから、ノマドするんです。私のような軟弱者は、ある意味「仕方なく」ノマドしているとすら言えますね。おそらく大半のノマド仕事人は、私と同じようなものだと思いますよ。気分転換やモチベーションを高めるために、行っているはずです。

ですから、ノマドに憧れる人たちの感覚というのは、私には少し違和感を感じます。積極的にやりたいものじゃないですよ、ノマドって。

実際にノマドしてみれば分かりますが、カフェで仕事するのは、周りの客の話し声・騒音との戦いという面もあり、仕事をするのには向かない環境です。また、PCやiPhoneといった仕事道具の「バッテリー切れ」リスクとも隣り合わせです。勿論、お金も掛かります。そういうデメリットを背負ってでも、脳のスイッチをONにするために、あえて行うもの・・・それがノマドなのです。

・・・以上、ジュンク堂書店喫茶コーナーよりお送りいたしました(笑)。


※気が向いたら、私のノマド道具の紹介記事を作るかもです。
余りに軽装で、多分驚きますよ〜( 'ー`)。