フリーランスが絶対に金を借りてはいけない理由

前回の続きです。「フリーランスという働き方を辞めることにした」というBlog記事主が、フリーランス最大のタブーを犯しているという事について。

そのタブーとは「金を借りる」ということです。


┐('〜`;)┌.。oO(・・・そんなこと、読んだ誰もが思っとるがな)


・・・ごもっとも(笑)。件のBlog主が借りた300万円というのが、彼にとって分不相応な行為であったことは、誰もが感じる事でしょう。しかし「本人がアホだ」と一笑に付した人の中に、金を借りるという事の本質的恐ろしさまで理解している人は、非常に少ないと思います。

順を追って説明してみます。

法人・個人に関わらず、事業に失敗する理由のうち、最も多いのが資金繰りに困窮することです。しかし、借金をして資金繰りを改善しようとする事は、極めて危険です。上手くいけば困窮から脱出できますが、失敗すれば破滅という「諸刃の剣」です。この辺りの事は、件のBlogに対してだけでなく、誰でも感覚的に理解しているでしょう。

問題は、借金という行為の本質部分です。個人事業・フリーランスは、法人組織に比べて、借金をする上で圧倒的に不利な仕組みになっているので、金を借りる事は尚更危険なのです。

株式会社や有限会社は、法律上は有限責任の事業体であり、基本的には自己資本の範囲内でしか責任を負いません。これは、たとえ借金を返せなくなっても、会社を精算して得られる金額以上の責任は、問われないことを意味します。社長が私財を投げ売って借金を返す必要など、全く無いのです(例外については後述)。

昨年末、かの有名なロバート・キヨサキの会社が倒産した事が、一部で話題になりました。Twitter某巨大掲示板で、多くの人が「金持ち父さんが倒産しやがったwww」なんて馬鹿にしていましたが、実態はさにあらず。キヨサキ氏は、ある裁判で敗訴して賠償金を支払う事になったので、それに関連する会社を清算しただけに過ぎません。裁判で何億ドルの賠償を命じられようと、法人組織なら会社の資本を差し出せば良いだけで、それ以上の責任(個人資産を差し出すなど)は追わないのです。要は、キヨサキ氏の会社は『計画倒産』だったわけです。
http://www.j-cast.com/2012/10/12149929.html?p=all

アメリカと日本では細かな法律は異なりますが、法人が有限責任であるという根本部分は、全く同じです。合法的に借金を踏み倒す「計画倒産」は、日本でも決して珍しくありません。


しかし、フリーランス個人事業主というは、無限責任の事業体です。法人とは違い、ビジネスで背負う責任には限度がありません。もし借金を返せなくなれば、私財を投げ売ってでも返済する責任を負うのです。

つまりフリーランスというのは、法人に比べて、借金をするのに圧倒的に不利な事業形態なのです。この「無限責任」という事こそが、フリーランスが借金をしてはいけない真の理由であり、最大の核心部分です。大きな会社の真似をして、資金繰りやら事業拡大やらでホイホイ金を借りる事は、決して行ってはいけないのです。無限責任フリーランスにとって、借金は自殺行為に等しいのです。

なお、法人でも例外はあります。株式会社でも個人商店レベルの零細企業の場合は、融資を受ける際に社長自身が「連帯保証人」になるケースがほとんどです。つまり、実質的には社長個人の資産まで担保に取られる「無限責任」と同じなのです。従って、フリーランスが法人化したとしても、金を借りて良くなるわけではありません。


フリーランス最大の武器は、臨機応変にビジネスを取捨選択できる「融通性」です。逆に、企業のように金を借りて大規模な案件に手を出すハイリスク・ハイリターンの仕事は、最も向かないビジネス形態なんです。小回りが利く事を生かして、小商いを積み重ねることが、フリーランス成功の秘訣だと思います。

私は、フリーランスになって10年が経ちますが、続けてこられた最大の理由は、身の丈にあった仕事だけを行ってきたからだと思っています。私は今後も、借金を行うつもりは微塵もありません。

フリーランスの皆さんには、件のBlog主を反面教師として、安易な借金は行わない事を『強く』お勧め致します。


〜〜〜 件のBlog主の方へ 〜〜〜

最後になりましたが、件のBlog主の方へ一言。

貴殿の案件(不誠実なクライアント)は、誠に災難だったとお悔やみ申し上げます。しかし、貴殿の遭遇した悲運は、決して無駄にはなりません。貴殿が恥を忍んで、事の顛末をインターネット上に晒して下さったおかげで、多くのフリーランスやそれを目指す人達に、大きな警笛となったはずです。今後、同じ過ちを繰り返し、借金地獄へ陥るフリーランスが、確実に減るはずです。

貴殿の勇気に敬意を表すると共に、会社員としての新たな人生に、僭越ながらエールを送りたいと思います。